TRANSLINGUAL
《 トランスリンガル教育 》
学校内におけるトランスリンガル環境の構築

母国語だけを話す時代はもう終わりに来ている。世界のマルチリンガル人口は6割を超え、今後1言語しか話せないことは大きなハンデとなる。ましてや話者が地域的に限定されている日本語しかできないとなると将来の展望は厳しい。

しばしば「英語はツールにすぎない」と言われるが、英語にとどまらず言語そのものがツールにすぎず、それを使っていかにコミュニケーション力を磨くかが肝となる。「グローバル化」により、教育現場も含め、日常的に複数の言語が自然に飛び交う環境が増えてきている。楽天やユニクロが社内公用語を英語にしたことは記憶に新しい。その他の大企業も外国人の採用が増え、日本語と英語が自然に飛び交う環境ができてきている。職場や生活の場で自分の母国語以外の会話が自然に行われている環境に置かれる人はこれからも増えてくる。スイスなどのマルチリンガル国家、アメリカ、フランスなど移民が多数占める国家ではすでにこのような環境がいたるところに出来上がっている。

関西国際学園でも、特に初等部では英語と日本語で教科を高いレベルで教える画期的なバイリンガル教育を行っているのは周知の通りであるが、バイリンガル教育とは単に両言語で授業を行っているということではない。日本語を母国語として話す子どもが99%を占め、尚且つその9割の子どもたちが幼稚園のころから英語で学校生活を送っていると共に、授業を取りまとめる教師も外国人であるため、自然に日本語と英語が話される環境が築かれている。

従来の第二言語教育では、カナダで生まれた「イマージョン教育」などのように、 第一言語を排除した環境で第二言語を使うことで、その言語で考える力が付くと考えられてきた。日本の英会話学校の授業でも「英語only」や「日本語禁止」を掲げているところが多く、関西国際学園でも「英語の時間」に日本語で会話をすることを禁じてきた。勿論園外でほとんど英語を自然に話す機会がない子どもたちにとっては、園にいる間にできる限りたくさん英語を話すことは重要である。しかし第二言語の習得において母国語を排除することの必要性に疑問を抱いている言語学者や教育者などの研究により、「トランスリンガル」という概念が提唱されている。

彼らの研究によると、母国語を一切使わないことで第二言語習得の効率が上がるという証拠はない。逆に、第二言語の学習の中に母国語を適度に入れる方が効果的だという。ジム・カミンズ氏は70年代にカナダで始まったイマージョン教育の影響で定着した3つの憶説を分析し、第二言語習得における母国語の役割を検討している。3つの憶説とは次の通りである:1)第二言語の学習において、第二言語のみで指導すること、2)母国語からの翻訳は一切行ってはいけない、3)イマージョンやバイリンガルプログラムにおいては、2言語は明確に分けられるべきである。

どの点においてもやはり学習者の母国語力をどれだけ駆使できるか、そして学習者自身の言語使用の認識を高められるかが第二言語習得の肝となることが分かっている。例えば、スペイン語話者に対する英語指導では、最近の時事をスペイン語で発表したものを教師が英語で訳して書き写し、最終的に英語で発表するという授業が行われた。教師は英訳を生徒と共に行うことで、英語がまだ流暢でない生徒も参加することができ、それぞれのレベルで新しい英単語や表現を学ぶことができた。また書く活動でも生徒の自主性に任せて好きな言語で書かせることによって、進んでバイリンガルで書く生徒が増え、また英語の習得が進んでいる生徒がそうでない生徒の為に通訳・翻訳をしたり説明したりすることで全体の更なる英語力強化につながったという。

また言語を明確に分けることで、両言語を使用したプロジェクトや学習体験の機会がたくさんあるにも関わらずそれを完全に逸していることを氏は指摘する。例えばバイリンガルの映画や本を作成するなどのプロジェクトが自動的に不可能となり、自分たちの「バイリンガル性」を本当の意味で発揮し、確かめることができない。 また、フランス語のイマージョンで学んでいる児童・生徒は、テクノロジーを駆使してフランス語を母国語とする生徒と交流することでより自然な会話ができるが、フランス語を母国語とする相手の生徒たちは英語を学習していて、英語を話したがるため、両言語を切り離すことが非現実的になってくる。このような例から、言語使用に制約を設けるよりも自由に考える方が、母国語と第二言語の双方を発展させる可能性が大きく広がる。

関西国際学園がトランスリンガルという概念を本格的に考えるようになったきっかけは、2014年の11月に数名で訪れたヨーロッパの学校の視察旅行だった。現存のインターナショナルスクールでは世界最古と言われているジュネーブ・インターナショナルスクールのラ・シャテニュレー・キャンパスを訪れ、クラスを見学し、校長とも話をする機会があった。そこで「トランスリンガル」の概念に出会い、たくさんの資料や著者を紹介していただいた。関西国際学園初等部で国際バカロレア(IB)のPYP(初等プログラム)を導入し、探究学習を本格的に実施してから、両言語で同じ探究の単元を行うようになり、そこでの言語使用において様々な課題が浮き彫りになった。今まで「英語の時間は英語」、「日本語の時間は日本語」と明確に分けていたが、同じ単元を両言語で教える上で、英語で学んだことは日本語で理解できているか。評価は何語で行うのか。両言語でかぶってしまうことはないのか。

初等部のように英語と日本語の二言語で国語、算数、探究学習の「主要科目」を同時に指導している学校は日本はおろか世界でも例を見ない。その「バイリンガル性」がPYPの導入を困難にしていた側面もあったが、日本語教師と英語教師の連携が強まるにつれて、両言語で行うことが弊害ではなく、高い相乗効果が得られる大きなメリットと捉えるようになった。そんな矢先に、「トランスリンガル」の概念との出会いは、当学園にとってまさにタイムリーであり、今はトランスリンガルの環境を構築するための手段、トランスリンガルの授業を進め方、トランスリンガル環境のメリットと注意点など、さまざまな要素を文献を読みつつ研究している。

またIBの指導により、探究学習だけでなく、算数でも両担任が連携して単元を指導することで、同じペースでもより深い概念的理解を得ることができるようになり、また探究学習で出てくる「セントラルアイデア」、「探究の流れ」などを児童たちに和訳・英訳させることで、自分たちの言語使用についての認識も高まった。さらに日本語担任、英語担任双方が入る探究学習の授業も増え、その中で言語の制約を設けずに授業を進めることで、「話さないといけないから」ではなく、「コミュニケーションを取るのに必要だから」外国人の教師と自ら自然に会話することが増えたクラスもあった。

これからすべてが目に見えて劇的に変わるわけではない。これからも初等部の多くの授業はクラスの日本語担任、あるいは英語担任一人によって一言語で進められる。また授業外の廊下やカフェテリアなどでの会話はすべて英語で行うという決まりも変更する予定はない。カミンズ氏の論文にも述べられているように、トランスリンガルの環境であれ、学習している第二言語に学校の外で触れる機会が乏しい場合は、学校の中でその言語を使用する時間を最大限に確保する必要がある。また幼稚園部でも、子どもたちの日本語の知識を利用して英語での単語習得を促進する新しい取り組みを導入したり、バイリンガルの掲示物を増やすなどの取り組みが話し合われているが、基本的に全て英語で進める方針に変わりはなく、英語で同じような説明を日本語でしたり、日本語で自由に話す時間を設けること予定はない。文献を読むにつれて、トランスリンガルでの指導は、自分の言語使用に対する自己認識が芽生えてからの方が効果的だと考えられる。そういう意味でも、幼稚園よりも初等部での運用に適していると言える。

第二言語習得には母国語の基礎が大切と言われて久しいが、その母国語の基礎を第二言語の学習に応用するトランスリンガルの概念は非常に合理的であり、英語と日本語双方を限られた時間の中で学習する当学園の環境には最適であると思える。児童が自身の言語使用を認識しながら英語・日本語を使うことで、言語能力が総じて向上し、当学園が掲げているバイリンガル教育をさらにレベルアップさせる大きな可能性を感じる。また当学園以外にもこの概念が広がり、第二言語学習において「翻訳をしない」「英語で話すときは日本語を使わない」など、当たり前だと思われてきたことを排除することで、もっとコミュニケーションに主眼を置いた柔軟な英語教育が広まり、両言語をコミュニケーションのツールとして使いこなす日本人が多く現れることを願っている。

まだ日本では全く浸透していない「トランスリンガル」という言葉を、敢えてカタカナ言葉のままで記事にしたが、実はまだ英語でもそこまで広がってはおらず、辞書などにも登録されていない。本稿の英語版の原稿でも、"translingual" の下には決まって赤い波線が敷かれている。創立以来、株式会社の小学校、バイリンガルでの科目指導、日本語でのPYPの導入など、常に教育界の「常識」に挑戦してきた関西国際学園が、どこよりも早く「トランスリンガル教育」を掲げて、さらに日本の教育を引っ張っていく。